幸せの在処はどこニャンだ?48~夢を見つけていく、過程~
僕は、まだ子猫の時に
公園に捨てられたけど生き延びて
自由氣ままに暮らしている
「捨てねこトヨ」って、言うんだよ。
あぁそう、これね?
シッポの先端が曲がってるんだ。
面白いだろ?幸運のカギしっぽって言うんだよ。
捨てられた僕が言うのも、何なんだけど…
公園に遊びに来た人達に
なぜだか分かんないんだけど
幸せの在処を話すのが、日課となっているんだよ。
今日はやりたいことが見つからないって
不安そうな人がやってきたよ。
夢や目標がない自分を
ダメやつだと言うんだよね。
夢なんかなくっても、幸せを感じる心があれば
人生を振り返った時そこにはさ
見たかった世界がもうすでに
広がっていたことに氣がつくんだ。
たしか、歌にもあったよね
「僕が一番欲しかったもの」そんな感じの歌だったかな。
あーそうか。君は多くの成功体験がないと
幸せに成れないと思っているんだね。
夢を追うことに必死になると
夢が叶わない時間がさ、苦しくて苦しくて苦しくて
苦しみに、フォーカスしちゃうんだよね。
叶える事が全てじゃなくて
「叶える途中の過程」でさ
何を感じて、何を得たか。
全部ひっくるめてが、夢だから。
だから小さな喜びも、日々の小さなつまづきさえも
全部が、夢の一部なんだよ。
大切なのは、夢を持つことより
心を開けておくってことなのさ。
目の前にある感動を
いつでも拾ってあげられるようにね。
そしたら拾ってきた感動の中に
実は欲しいと思っていたものが
もうすでに入っていたんだって氣づくんだ。
それが夢を叶えた時に味わう喜びと
同じ喜びだったんだって、後になって氣づくんだ。
そしたらこれが不思議なことに
やりたいことが後からさ
見つかってしまったりするんだよね。
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